人生が詰むことについての再認識

人生が詰むことについての再認識

レイジです。4ヶ月くらいブログサボってました。すいません(´^ω^`;)

久しぶりの執筆なので、軽く僕の自己紹介をしておきます。

僕は、21歳のしがない生活保護受給者です。

仕事は、知り合いから紹介してもらったPC関係のものを週2〜3くらいでしてます。

PC関係という曖昧な表現なのは、どんな仕事をしているのかは口外しないで欲しいと、その知り合いから言われているからです。信用がないだけ

お察しの通り、労働量は一般社会人の方と比べると控えめな方です。なんせ、仕事を3日で辞めちゃうくらいの根性無しなものなので^^;

人生が詰むとは

本題。

僕のような生活保護受給者は、人生詰みと揶揄されがちです。

実際、僕も辛いことが続いた時なんかは

「生活保護なんかを受けてしまっている自分の人生は詰んでいるのだろうか?」

と塞ぎ込んでしまいます。

僕に限らず、ニートを経験している人だったら一度くらいは思ったことがあるんじゃないでしょうか笑

そんな僕ですが、ある日、いつものようにネットサーフィンをしていると、面白い記事を見つけました。

この記事の一説には、人生が詰んだ状態についての定義が書かれています。

人生が詰んだ状態とは

これは「年収が300万で高級コンビーフが唯一の贅沢」とか、そういう状態を指すのではない。それは状況であって、「人生が詰んだ」状態とは言えない。

では人生が詰んだ状態とは何か?それは「人生目標がなくなった状態」を指す。自分の人生が、もはや消化試合となり、何か成し遂げたい目標がなくなったが、自死するわけでもなく、だらだらと生きるしか無い虚無となった人達こそが「人生が詰んだ人達」だ。

空白雑記

これを読んで、僕はハッとしました。

何故今まで、「生活保護である事が人生詰み」なのかもだなんて思ってしまっていたのだろうかと。

そもそも僕は、何を持って人生を詰みとするかだなんて、考えたこともありませんでした。

タダの感情論で「俺の人生って詰んでるのか…?」なんて思っていたのです。バカバカしいたらありゃしないです。

生活保護だから人生詰み?前科があるから人生詰み?決してそんなことはありません。

どんな人間であり、目標に向かっている時、その人には希望があります。目標に向かって走っている時、僕は幸せです。

そう考えると、僕の人生はまだ詰んじゃいない。やりたい事、実現したい事が沢山あります。それは、大きな夢から、小さな夢まで。


過去に見てきた目標がない人達

よく考えたら、僕は過去に生活保護無職が集うシェアハウスで、人生が消化試合になっている、何も目標がない人達を見てきました。

彼らは、共用部屋にあるテレビを見て、飽きたらタバコをふかすというルーティンをずーっと繰り返しているようで、失礼ですが僕から見ると

「この人たち、何が楽しいんだろう」

と思わざるを得ませんでした。

おそらく、あのような状態を人生が詰んでいる状態と言うのでしょう。いや、ほんとにあそこからは脱出して正解でした。

現状に甘んじない

生活保護は、なまじ良い生活が出来てしまうおかげで、気を抜くと永遠にぬるま湯に浸かってしまいそうです。なんの目標もなく、寿命が来るまでダラダラと…

確かにそれは、考える必要もなくて、一見幸せに思えます。

でもそれだと、きっと後悔するんでしょうね。先人が証明してくれてますから。

とりあえず、やれる事からちょっとずつやって行きます。