生活保護受給者は謙虚でいた方が良い理由について炎上ツイートを元に解説!

生活保護受給者は謙虚でいた方が良い理由について炎上ツイートを元に解説!

*この記事はそこそこ炎上し、かなり否定的な意見を皆様からいただきました。そして、今現在僕もこの記事に書いてある時の自分とは思考が異なっております。しかし、戒めとして、削除もせず、訂正することなく、残しておきたいと思います。そして、僕は皆様の役に立ちたかった。それだけは述べておきます。5/2追記

レイジです。

最近、Twitterで面白いツイートを発見しました。

https://twitter.com/heligero/status/1518170577072443392?s=20&t=8Z7okh811JcL1LfC46FEcw

生活保護関係のバズツイートです。ほんと最近こういうのよく見ますよね。

このツイート、なんでバズったかという考察なのですが、大雑把に言えば「イラつく」、正確に言えば「妬ましい」からです。

ツイート主はそんなつもりはなかったのでしょうが、このツイート、働いている方々、特に非正規雇用や低賃金労働、もしくはブラック企業に勤務をしている方からしてみればめちゃくちゃイラつくと思います。

それもそのはずでして、そんな環境にいる人は働きたくもないのに仕方なく働いている方々が殆どだからです。

そして「自分は頑張って生活しているのに、受給者は努力もせず生活している!許せない!イラつくから攻撃してやる!」となるわけなのですが…

これ、こう思っちゃう人の殆どは、なぜ自分がイラついてしまうのかわかっていないんだと思います。

この場合、「イラつく」という感情のトリガーになっているのは「嫉妬」です。

生活保護反対思想を掲げている方にとってみれば、自分のイラつくという感情がただの嫉妬であるというのは否が応でも認めたくないと思いますが、紛れもない事実です。

よく言われることですが、お金持ちや満足がいく仕事ができている人、つまり、自分の生活に満足ができている人からしたら、底辺なんて本当どうでも良いんです。

だって、そのような方達にしてみれば、底辺が目に入ったところで何の危害もないわけなのですから。

しかし、自分の生活に満足が行っていない人からすれば話は別です。

何故ならば、生活保護を認めてしまうと自分の生活が否定されていることになるわけです。

それどころか下手したら「自分の今までの生き方は間違っていたのか」という疑念が湧き、人生哲学そのものを否定され、プライドに関わってきます。人間は自分が間違っていることを認めたくないものです。

また、このツイート主の言ってる事は的を射ています。別に生活保護で遊んではいけないなんてルールはありませんし、お金の使い道も比較的自由です。ただ、人間って正論を言われると傷つくんですよね。

ASD的な要素を持っているのだと思います。

ツイート主は別に触れなくても良い話題に触れまくっています。(あくまでも僕の考えです)

例えば「こんなツイートしている暇あるならさっさと働け!」と言われているのに対して「え?権利ですけど?何か問題があるんですか?」みたいな事をあっさりと言っています。

そのせいで、いわゆるレスバトルがTwitter内で巻き起こっています。

これ、対処法としてはどう考えても「触れない」もしくは「謝る」のどちらかが正解なんです。

これが今回のテーマである「謙虚」の話に繋がってきます。

この記事を読んでいらっしゃる生活保護受給者の方は、炎上して誰かからバッシングされるなんてごめんで、ゆるーく暮らしていきたい方が大半だと思われます。

そして、その理想は「謙虚」でいさえすれば叶います。

ということで今回は、生活保護受給者が謙虚でいるメリットや、謙虚になる方法、また、僕が謙虚になって感じたことなどについて解説していきます。

謙虚でいるメリットとは?

人に好かれやすい、信用される

謙虚でいれば人に好かれ、信用されます。

これは大物Youtuberのヒカキンさんをみれば一目瞭然です。

あの方は謙虚であるからこそ好かれ、信用され、なおかつトップなのです。

他の大物Youtuberを見てみてください、調子乗ってるような輩がそこそこ多くないですか?(失礼)

例えば、コムドットさんとかフィッシャーズさんとか。彼らがバカにされ、アンチが多いのは調子に乗っているからです。

「本気出せばYoutubeでトップ取れるけど?俺らウェイ系で人生充実してますけど?俺には君たちが思ってるより価値があるんですけど?」みたいな雰囲気を出してます。というかそういう発言をしていたはずです。

調子に乗っている人間は見ていてイラつくものです。イラつく人間とは誰も仲良くしたいとは思いません。

そして、人をイラつかせる人間は有る事無い事言われがちです。

「こいついつも調子乗ってるし悪いことやってもおかしくないだろ。てかイラつくしやってなくてもとりあえず叩いとくかw」みたいな感じで、色眼鏡で見られてしまったり、挙句の果てには悪質な嫌がらせをされてしまうのです。

例えば、一度犯罪をしてしまった方は社会的信用が失われますよね。

これは「一回調子乗ったことやったんだしどうせまたやるだろ」みたいに思われているからです。

信用は非常に重要です。それこそ「信用さえあれば一生生きていくのに困らない」と言っても過言ではないくらいには重要です。

何故ならば、信用があるといざ困ったときに誰かが助けてくれるからです。人間、信用できない、好きでもない人間は助けたくないものなのです。

そして、信用というのは「仕事、社会貢献」によって得られることがほとんどです。なんせ、社会的信用なんて言葉があるくらいですので。

ここでなんですが、生活保護受給者は大半が仕事をしていなく、それといった社会貢献もしていないように「見える」ので信用が殆どありません。「見える」というのが重要です。

「生活保護受けてるし困ることなんてない。信用なんていらんわ」って方もいるかもしれませんが、人生何があるかわかりません。

また、信用は死ぬまで一生ついてきます。

先ほどもお話ししましたが、一度失った信用を取り戻すのは非常に難しいです。

生活保護故に、ただでさえ少ない信用です。少ないならどうでもいいやーと投げ捨てるのではなく、少しずつでも良いので信用を回復したほうが僕は生きやすくなると思います。

と、長々と書きましたが、簡単に言っちゃえば信用を得るのは生きていく上でめちゃくちゃコスパが良いのでおすすめってことです。

「信頼」と「信用」の違いは、本人に対する期待が主観に基づくのか客観に基づくのか、という点です。

信頼という行為はどちらかというと性善説の立場に立った振る舞いと言えるでしょう。一方で信用という行為は、信頼関係の存在しない相手に対して、何らかの客観的根拠に基づいて約束や契約の順守を期待することを指しています。

信用というものは数値化できるので自分以外の人にとっても共有可能な指標となりますが、信頼は印象や経験に由来するため自分以外の人と共有することができるものではありません。この点は「信頼」と「信用」の大きな違いと言えるでしょう。

理系の為の備忘録 「信頼」と「信用」の違い:主観に基づく期待か客観に基づく期待か


人と争わなくて済むため、自分自身のメンタルが保たれる

謙虚でいれば人と争わなくて済みます。

これ、小学生でもわかることのはずなのですが、どうしてもプライドや固定観念が邪魔しているせいか大人でも無駄にプライド高い輩がいるんです。

勿論、プライドが高い人間を否定するわけではありません。単純にプライドが高いと生きにくいというだけです。

プライドが高い人間同士が接触すると、必ずと言って良いほどマウントの取り合いが起きます。

マウントというのは、自分の優位性を示すために行われ、手段は問いません。

「俺の方が凄い!お前は雑魚!」みたいな自分をあげて相手を落とす手法がよく使われます。

そしてこのマウント合戦、勝つにしろ負けるにしろ、良い気持ちで終わることがほとんどありません。

つまるところ、メンタルが不安定になります。

それもそのはずでして、お互いを高め合うならまだしも、マウント行為はお互いを貶しあっているからです。

貶すという行為は非常に恐ろしいものです。というのも、脳は主語を判別できないからです。

例えば「お前は俺より頭が悪い!」のような言葉を他人に浴びせます。

すると、脳は「お前」と「俺」がろくに区別できないため、「俺はお前より頭が悪い!」と言ってるのと大して変わらないという結果が生まれてしまうのです。

これに気付けば特段人と争うことなんてなくなるわけなのですが、この理屈に気付けない人は死ぬまで誰かにマウントを取り続けて、知らず知らずのうちに自分の心を病んでいきます。

生活保護受給者は、はっきり言って社会人の皆様方に忌み嫌われています。

そして、メンタルを病んでいる方も多いことでしょう。

そんな状態で人と争ったら、どうなるもんかわかったもんじゃありません。

しかも、自分が勝てる勝負ならまだしも、生活保護は少数派です。多数決が物を言う世の中においては、どんなに頑張ったところでほぼ必ず負けます。

また、生活保護を受けている人には「生活保護受けてる俺最強!賢い!卍卍卍」みたいなタイプもいるのですが、あれも人と争うきっかけになり得ます。

自分を賢く見せたくなるのは人間の本能です。しかし、それは自分が気持ち良くなっているだけであって、周りから見れば大抵不快に見えます。

生活保護受給者においては尚更です。考えても見てください。「働いてる人より生活保護受給者の方が賢い」なんて社会人の方が聞いたら、「努力もしていない無職に知恵で負けてる」と言う劣等感に苛まれることになります。

しかし、そんなことは死んでも認めたくないので、論争に発展するわけです。

正直なところ、僕も働いてる方のほとんどは洗脳され、騙されていると思います。

ただ、それをそのまま言うのはあまりに悪手です。仮に善意で言ったとしても、あらぬ誤解を生んでしまいます。

誤解を生んでしまったら、その誤解を解くのは非常に難しいです。特に叩きやすい生活保護受給者は尚更です。

そうして、誤解を生んでからはひたすら攻撃され続け、最初はなんとなくやっていた軽い争いが自分のメンタルに多大な不調を引き起こしてしまうのです。生活保護Youtuberがバンバン消えてるのもこれが原因です。

そのため、最善手は結局のところ謙虚でいることですし、社会的地位が低い生活保護受給者は、一般人よりもより一層謙虚でいなければいけません。

謙虚になる方法

謙虚になるには世の中の仕組みを大方知るのが手っ取り早いです。

では世の中の仕組みを知るにはどうすれば良いのかなんですが、本をたくさん読んでください。以上です。

。。。

と、これではあんまりですし、本読みたくねーって方もいると思うので、「今すぐ!誰でもできる!謙虚になる方法!」を解説したいと思います。

人の悪口を言わない、暴言を吐かない

心のノート並のアドバイスですが、これができていない大人、マジで多すぎます。

先ほどもお話ししたように、人の悪口や暴言なんて吐いてもマジで良いことはありません。もちろん、身内やネタで言う分には全然良いと思います。

悪口や暴言を吐くような人間は、それだけで謙虚とは程遠いです。謙虚の塊であるヒカキンさんを見てください。誰も貶したりしてませんよね。

逆に言ってしまえば、口が悪くなければそれだけで「この人良い人なんじゃね?謙虚やん!」みたいになるくらいには、今の時代では悪口や暴言が横行しています。

おそらく、これはSNSの普及によりほぼノーリスクで貶せるようになったからだと思います。

人の悪口や暴言を吐いてる人間のほとんどは、本人を目の前にしたら口をつぐみます。結局、安全な場所から石を投げることしかできない「弱者」なのです。チキンです。モブキャラです。小物です。

皆さんはそんな雑魚キャラではないはずです。口が悪い人はいますぐ治しましょう。


自分を下げる(謙遜、謙譲)

謙虚といえば謙遜、謙遜といえば謙譲です。

謙遜なんて、褒められたら「そんなことないっすよ〜」とと言うだけでOKだと思われてますが、実はそんな単純ではありません。

日本人にありがちな心理傾向のひとつとして、過度な謙遜が挙げられます。

人から褒められた際に自分の手柄にしてはいけないという遠慮の気持ちがその根底にあるのかもですが、度が過ぎるとそれは「卑下」です。卑下は相手に嫌味な印象を与えてしまうことも少なくありません。

そこで大事になってくるのが、適度な謙遜です。

謙遜の基本は、相手の言葉を否定したり、事実を否定しないことです。雑な謙遜は返って不快なイメージが生まれてしまいます。

謙遜する際は、相手の好意を一度受け入れて、それから卑下することで印象がよくなります。心理学における好意の返報性を上手く活用しましょう。

「好意の返報性」とは人から何かをもらった際に、「自分も何か返さなくては」と感じる心理のことをいいます。例えば、友達からプレゼントをもらったら何かお返ししなくてはと感じる人が多いと思います。

これが「好意の返報性」にあたります。

好意の返報性は、物をやり取りする際だけに発生する心理ではありません。

「ありがとう」といった感謝の言葉や「あなたが好きです」といった好意の言葉であっても、好意の返報性が成り立ちます。また電車で席を譲ってもらうなどの好意的行動も、好意の返報性の対象となります。

Senses.Lab 「好意の返報性」で顧客をコントロール!?営業パーソンが使える心理学

感情的にならない

プライドが高い方は、否定をされたり、誰かと対立すると感情的になりやすい傾向にあります。

自分が間違っていると言うことを信じたくがないために、相手を貶したり、自分を無理やり上に持ち上げたりして、謙遜どころか傲慢になってしまう…

そんな感情的になりやすい方ですが、大事になってくるのは客観視です。

言いたい事を言うとスッキリする気持ちはわかりますが、長期的に考えると感情的と言う特性は邪魔でしかありませんし、他人から見ても良い印象はあまりありません。

と言うのも、感情的だと、どうしても「とっつきにくい人、話が通じない人、怖い人、喧嘩っ早い人、イラつく人」と思われ、人が離れていってしまいます。

今更ながら、この記事内でイラつくってワードを結構出してるわけですが、どれだけ論理立てて説明したところで、結局、人間は行動より感情が先に来てしまい、その感情に行動を支配されがちだからです。

相手をなるべくイラつかせないように立ち回るのが謙虚で好かれる人になるので、人をイラつかせる原因になりうる「感情的」と言う要素は出来る限り取り除くようにしましょう。

また、語弊がないように述べておきますが、感情的にならなければいけない場面では感情的になってください。ロボットになれと言ってるわけではありません。

あと、僕とは少々考え方が違いますが、感情的にならない方法についてはひろゆきさんが語っているのでそちらを参考にしてみるのも良いかもしれません。→ひろゆきが明かす「否定されても感情的にならないための方法」

謙虚になって実感すること

自分で言うのもなんですが、僕自身、どちらかといえば謙虚な方に分類される人間だと思います。

しかし、昔の僕は全くと言って良いほど謙虚ではありませんでした。

何か問題が起きても自分ではなくて周りが間違っていると思い込み、人のアドバイスは話半分でしか聞かず、努力している人を煽るなんてこともしていました。勿論、このような思考は今では無くなっています。

謙虚になったきっかけは、もちろん本を読んだり人の話を聞いたりして学んだと言うのもあるのですが、一番は社会における成功者の存在です。

「なぜあの人は成功したのだろう?成功者に共通する秘密はなんだろう?人に好かれる人間には何があるのだろう?」と考えて、共通項が謙虚にあるという答えに辿り着きました。

謙虚になって実感することは沢山あるのですが、やはり、嫌な思いをすることが無くなったのが一番大きいと思います。

僕は現在シェアハウスに住んでいるのですが、仮にも住人に家事を命令したり、文句を言ったりなんて事はしません。良い機会なので「謙虚でいること」の効果を検証してみようと思ったのもあります。

その結果、シェアハウス内でかなり大きな信用を得ることができました。周りの住人が「こいつは信用できるな」と勝手に思い込んでくれるのです。

その甲斐もあってか、シェアハウスの喧嘩に僕は巻き込まれていませんし、何かトラブルが起きても僕が疑われることはありません。それが仮に本当に僕のせいであったとしてもです。

それだけ信用というものは便利なのです。「謙虚は偽善!」みたいに思い込む方もいるようですが、単純に人生を楽に攻略する手法の一つに過ぎないのです。善も悪もありません。

また、最近ではネット活動をするようになり、より人間性が見られるようになったのでその点でも恩恵は大きいと思います。

特にYoutubeでは「謙虚な生活保護受給者なので好感が持てる、これが正しい生活保護受給者のスタイル」といった感じのコメントをいただき、やはり生活保護受給者こそ謙虚であるべきだなと改めて実感しました。

一般人が無理して謙虚になる必要はありませんが、発信者は基本、何か戦略でもない限りは謙虚であったほうがいいと思います。

謙虚のメリットでもお話ししたように、謙虚でない人間というのは人をイラつかせやすいため敵を作りやすいです。そして、発信者には嫌でもファン、もしくはアンチが付きます。

僕の推察上、このファンとアンチの割合は、謙虚であるほどファン側が大きくなると予想しています。

「データも何もなしに、たかが推察で物事を語るのか」と言われたらそれまでです。

しかし、人生は何か見えない力が働いているのも事実なのです。

見えない力で一番わかりやすいのが「因果応報」です。

これは実際あるわけですが、死ぬまでこの事実に気付かない人間も普通にいます。何せスピリチュアルじみてますもんね。

一説によると、見えない力の働きは7割ほどの人間が60歳あたりで気付くようで、30歳で気付ければ早い方らしいです。残りの3割は死ぬ瞬間に気付くか、もしくは気付かずに死ぬらしいですが、これは本当かどうかはわからないです…死ぬ瞬間に「気付いたー!」とか叫んだんかな…

この見えない力をうまく味方につけれる人間ほど、人生が上手く生きやすくなると僕は予想しております。

見えない力とか言っていますが、これはデータで示すことが非常に困難なので「見えない」と言っています。

当たり前ですが、その人が本当に謙虚かどうかなんて調べる技術なんて今の世の中にはありませんし、謙虚だとわかっても謙虚のラインはどこからどこまでなのか、みたいな感じで定義づけもほぼ不可能なのです。

つまるところ、見えない力とは数字では測れないものなのです。

人に説明するときは数学みたいな感じでデータを示すことがほとんどだと思うのですが、見えない力はデータが存在しないので感覚で語る、言ってしまえば国語みたいな感じになります。国語の問題を数学を使って解くなんて不可能ですよね。そんな感じです。

余談ですが、とてもありがたいことに僕のこの考え方を評価してくださる方までいらっしゃいます。正直、ここまで僕の考えが肯定していただけるとは思ってもいませんでした。なんでも言ってみるもんですね。

まとめ

以上、生活保護受給者が謙虚でいた方が良い理由でした。

今回のように、生活保護受給者はちょっとした社会への物申す発言が炎上に繋がってしまいがちです。

今の世の中、どうしても働いていない人間は悪という風潮が根付いています。特に働いていないのにお金をもらっている生活保護受給者は尚更悪人扱い、下手したら極悪犯罪者扱いです。

ただの無職にはお金は入ってきませんが、生活保護ではお金が入ってきます。

世の中の人間は「お金=幸福」だと思っており、そしてそのお金は「働いて得るもの」という刷り込み教育をされてきた為に、その前提が覆されると自分にかかっているバイアスと不一致を起こしてしまい、精神が乱れ、結果的に辛辣な態度をとってしまうのです。

そしてそのバッシングは、仮に身体的、精神的に不自由な人間であっても容赦はありません。

僕も生活保護を受けているだけでTwitterで一般フリーターにブロックされたときは驚きました…今まで仲良くしていたと思ったら生活保護とバレた瞬間に…悲しい˚‧º·(˚ ˃̣̣̥⌓˂̣̣̥ )‧º·˚

また、今回トップで取り上げた炎上ツイッタラーの方は「自分が正しい」という事を全面的に押し出していたようでしたが、確かに正しいです。

しかし、正しいことを正しいと言って叩かれる世の中なのです。僕は学生時代に教師を論破する遊びをしていてそれに気がつきました。安全に過ごしたいなら謙虚でいる事です。

そもそもこの「謙虚でいる事」なんですが、生活保護受給者に限らず全人類に言える事なんです。

謙虚の対義語は傲慢です。

傲慢な人間は好き勝手やって楽しそうなイメージがあるかもしれませんが、敵も多いです。

考えてもみていただければわかるのですが

「俺年収1億あるし?彼女は橋本環奈だし?でもそれって当然だよね。俺すげーもん」って言われるのと

「俺は年収1億あるけど、たまたまだよ。運が良かっただけだよ。彼女も確かに橋本環奈だけど…本当に運が良かっただけ。俺自身は全然だよ」

と言われるの、どちらが人が良さそうに見えますか?断然後者だと思います。

結局、人間というものは本能的に上に登りたくなるものですし、資本家でも学生でもフリーターでも、生物的に優れている、強い奴を見ると妬ましく思ってしまうものなんです。人間は愚かですね。

最後に、これだけは覚えて帰っていただきたいのですが、傲慢な生活保護受給者はいつか必ずその身を滅ぼします。既に前例が多くあります。謙虚でなくても良いので、せめて傲慢だけは避けましょう。

というわけで、いろいろ語りましたがこんなブログで社会における立ち回りを学ぶくらいなら本を読んだほうが100倍有益なので、おすすめの人付き合いに関する本を貼っておきます。

ここまで読んでいただきありがとうございました。