親ガチャという概念

親ガチャという概念

最近よく聞く「親ガチャ」という単語。僕はちょっと前までネット用語かなんかだと思ってました。一部の人達が勝手に使ってるだけだろ、と。

しかし、メディアに取り上げられたり流行語大賞トップ10に選ばれたりとこれはもう偶然なんかではなく、いかに現代の若者が家庭環境や親による幸福に悩まされているかを如実に物語っているかと思います。

かくいう僕も現在未成年であり、親に頼っていてもおかしくない年齢ですが、親とは絶縁のような形をとっています。

というわけで親ガチャとはなんなのか、僕が思う親と幸福の関係性についてお話ししていきます!


そもそも親ガチャとは?

親ガチャとは、子供が親を選べない、どんな親になるのかは運次第という意味であり、ソーシャルゲームのガチャから来ていると言われています。

確かに言い得て妙ですよね。例えば大金持ちの親の元に生まれるのと、貧困の家庭に生まれるのとでは人生の生き方に大きく違いが出るでしょう。経済面以外にも容姿だったり能力だったりと突き詰めればキリがありません。

誰しも一度は、大金持ちだったら、容姿端麗だったら、と夢を見たことがあるのではないでしょうか。


親ガチャの何が問題なのか?

経済面

今の時代、親ガチャで一番問題視されているのが大学進学だと思われます。現在高校生の大学への進学率は5割を超えています。大学進学は当たり前、みたいな時代です。しかし、その大学の費用というものは高校生が簡単に出せるものではありません。数百万円とかですからね。そのために大学進学の費用がない家庭では奨学金を借りるわけですが、奨学金は借金と同じ。将来的には子供が返さなければいけません。例えば、毎月2万円ほど返していく生活を10年以上、、、これに不満を持つ人が多いんです。

また、学費を在学中に支払うのに精一杯で、過労で倒れちゃう学生もいます。これはリアルで見たことあるので「そこまでして大学行くのか…」って思ってました。

一方、家庭から進学費用を出してもらえる子供はかなり有利です。当たり前ですが、数百万円の借金があるのとないのとハンデがあります。返済に追われることもないですし、何より若いうちに自由に使える資産が多いというのはとても素晴らしいことです。若いうちのお金の価値と老後のお金の価値は違うということは様々な本で語られています。

そもそもそんな無理に大学で学ぼうとしなくても生活保護で学ぶというのも一つの方法です。

能力面

親による影響は経済だけではなく能力にも表れます。これまた当たり前ですが、優秀な親からは優秀な子供が育つ可能性が高いです。遺伝もあるとして、良い教育を受けることができるからですね。そして能力と経済力が直結するのが世の中です。大卒の子供は大卒になりやすく、親が大卒の家庭は裕福な傾向にあります。高卒と大卒の賃金の格差を見れば歴然かと思われます。


人命

これは極端ですが親に虐待されるような子供もいるのも事実です。こうなってくると命に関わってきます。しかし、親ガチャにはこう言った意味はあまり含まれていないと思われます。もしこの意味で使われてるんだとしたら、流行語になっちゃってる時点で日本は終わりですからね。虐待が当たり前は流石にないはずです。そもそもこのレベルになるとガチャとか冗談半分で言ってる場合じゃないですからね。もう事件ですよ事件。

相対的か絶対的か

「先進国に生まれただけ幸福だろ!親に対して文句言うな!」とおっしゃる方の気持ちもわかりますが、世の中の幸福に対する事象は相対的に見られることがほとんどです。

つまり何かと比較するわけです。

元世界一幸せな国と言われているブータンという国があります。発展途上国です。

しかし、今ではブータンの国民の幸福度はみるみる下がっているようです。

この理由はなぜかというと、周りと比べるようになったからです。

元々このブータンという国は情報鎖国により他国の情報が入ってきませんでした。

しかし、情報が流通し「他の国はもっと幸せなんだ」と見える世界が広がってしまったことにより幸福度が下がってしまったのです。

何を言いたいのかというと、幸福というのは相対的な物差しで測られることが多いのです。芸能人や有名人の突然の自殺もこういったものが絡んでいると考えられます。

私たちからしたら人間離れした憧れの存在でも、有名人同士のコミュニティの中では求められるハードルが高いためです。

テストの平均点が50点で、その中で80点を取れば優秀な人間ですが、テストの平均点が90点だと仮に80点でも優秀とは言えなくなってしまいます。そして人間は誰しも優秀になりたいものです。

情報の流通により恵まれている人が目につきやすくなり、比較対象の増加によって親ガチャが定着したのではないでしょうか。

一番は自分の中での絶対的な幸せをみつけることなんですが、一人で山にこもってる仙人ならまだしも情報がとめどなく流れ込んでくる超情報化社会の現代においてはなかなか難しいです。

親ガチャの線引きは難しい

僕は現在東京で生活保護を受けていますが、これには親の責任、親ガチャが絡んでいると言えるのでしょうか。

僕は親に生活保護の話をしたことがあるのですが「それって底辺じゃん」と言われました。

底辺とはなんなのでしょうか?

僕から見たら貧困である現状に不満を垂れ、周りのせいにし、何も行動せず、体に害があることが明らかな喫煙行為をやめようとしない姿勢の方がよっぽど愚かに感じました。

僕は倫理観や常識がいまだに欠如しています。そして僕は犯罪行為に対してあまり罪悪感を持っていません。現在ソシオパス、人格障害が疑われています。

これは親の教育のせいではないと言えるのでしょうか?もしかしたら親じゃなくて友達のせいなのかもしれません。時代のせいなのかもしれません。

こうして思考を巡らせると何が原因かというのはわからないです。

この世には親に殺されている子供もいます。そのような子供と比較すると僕なんかは全然マシ、こう考えると明確な定義づけは不可能です。

誰がなんと言おうと、個人が親ガチャだと思った時点でそれはもう親ガチャなのかも。

親ガチャ思考はメンタル的に良くない

親ガチャ云々言ってますが、結局親のせいにしても何にもならないです。

「親のせいで自分は不幸なんだ〜!」と大声で叫んだところで急に異世界転生するなんてことはありませんし、頭が良くなったりお金が降ってきたりなんてことはありません。

「どうしてこんな親の元に生まれたんだろう」と考えている余裕があるのならば少しでも行動するべきです。

てかぶっちゃけ行動しなくても良いです。考えないだけでもメンタル改善に繋がり知らず知らずのうちに良い方向へと歩んでいるはずです。

また、実家暮らしで親のことがどうしても気になるならさっさと家出ちゃえば良いと思います!仕事するも良し、旅をするも良し、生活保護を受けるも良しです。

まとめ

親ガチャ思考は昔からありましたが、みんなが口に出さなかっただけなんじゃないかなーと思ったりもします。親のせいにするというのは非情なこと、という常識が今まさに覆されてきているのかもしれませんね。

何かのせいにするのは気楽なものです。

しかし、それで本来の自分を見失わないようにしましょう。他人と比べるのは本当ほどほどにしておいた方がいいです。他人と比べて病む人の多さを見るとどれだけ危険かわかるはずです。こんな時はナルシズム思考の人を見ると参考になるかもしれませんwイラつくかもしれませんが彼らはかなり自由ですw

それではまた別の記事でお会いしましょう!(o^^o)